マスカレード 2015~FINAL
DANCE OPERA「マスカレード 2015~FINAL」
東京公演が無事千秋楽を迎えました。
最近なかなかD☆D関連の感想ブログを書いてないなぁ、とブログを見返してみたら最後に書いたのBEAT CARNIVALですって(笑)
ひゃぴにゅもFunnyもすっ飛ばしてるぅ!\(^o^)/
まぁね、楽しかったのは間違いないので割愛ということで(笑)
今回珍しくブログを書こうと思ったのは、個人的に色々思うところあったので文章に起こして咀嚼したくて。
大阪公演もありますし、ネタバレ満載なので見たくない方はお気をつけてください。
まずは乾杯。『闇ポーシャ』
相変わらず金箔が見つけられない…普通に飲み干しちゃったよ。
ネイル
私の中でのマスカレイメージって『黒・白・金』なので、まさにその通りの色味のネイルにしたんです、が。
これがまた作業工数多いくせに全然見た目に反映されない!
中指のマーブルっぽいのが実は一番楽だったので、そっちはまた別の色でもやりたいけど…他のはもういいや(笑)
「色々思うところあって」なんて意味深に書いてますが、別に大したことは書きません。書けません。
そもそも、私あんまり考察するタイプじゃないので、Dの舞台観ても基本的に感覚でしか捉えないんです。
「綺麗だなー」とか「かっこいいなー」とか(笑)
だから本来はダンスオペラとか、ダンスアクトとか観るの向いてないんじゃないのって思うこともしばしばあります。
実際バレンタインショーみたいなSHOWCASE形式の方が単純に楽しめるタイプですしね。
でも今回マスカレードを観て、自分がいかにこういう作品に飢えていたかがわかりました。
そして、どうやら自分がいつもとは少し違う見方をしていることに気が付きました。
私は初演・再演のDVDを見返さずにこのFINALを観ました。
なので見当外れなことを言っているかもしれませんが、それはそれ(笑)
当時自分が抱いていた感想・感情と比較しています。
そもそもの話。
DSでマスカレードの再々演が発表になった時は素直に嬉しかったです。
でもキャスト発表を見て…う~ん。
水さんがどうこうではなく、男性だけで作る作品が良かったのになぁとか、元宝塚のトップを呼ぶってことはリーダー出番減っちゃうんだろうなぁとか、単純に良席は見込めないなぁとか(笑)
やっぱりこのマスカレードという作品においてポーシャをリーダーが演じるというところがリーダーファンとしては一番の肝であって。
しかも再演でうまくまとめたところに女性ゲスト…どうするのかなぁと。
正直言って全然期待してませんでした。
初日のチケット取らなかったくらいですから。
でもMy初日である2日目。
幕が開き「あ、私これ好きだ」と思いました。
単純に『マスカレード』という作品としてのクオリティが上がったな、と。
ポーシャを光と闇、現在と過去、水夏希と東山義久で二分することによって、より「ポーシャ」に焦点があたり、役に深みが出たこと。
ポーシャの歌が出来たことにより、ポーシャの感情・思想が伝わりやすくなったこと。
初演から5年、再演から2年経ち、キャストの表現力が増したこと。
薔薇を通してポーシャに恋焦がれるバッサーニオの視線。
アントーニオを殺すシャイロックの仕草。
ストーリーを動かし、伝えるアントーニオの歌声。
花束から薔薇の花が落ちてしまうハプニングで、さり気なく薔薇を拾い、食いつくかのように咥えてみせた道化。
台詞も説明もない、ともすれば全てがこぼれ落ちてしまいそうな登場人物たちを支える額縁であり地面であり続ける貴族。
一番変化があったかもしれない闇(後述します)
赤色がポイントに入るお衣装も素敵でしたし(前回気になっていたヤンキーのようだったシャイロックの衣裳が可愛くなっていたのが一番嬉しいかもしれない(笑)
類隆だけでなく、水さん・当銀さん・リーダーが歌うパートが出来て、ハーモニーに厚みが出たこと。
誇張でなく本当に枚挙に暇がない程、随所に”進化”を感じましたし、5年前・2年前にDIAMOND☆DOGSが手ずから創りあげた作品を、彼ら自身が壊し改めてここまでのクオリティにまで創りあげたという誇らしさもありました。
今回のマスカレード、恐らくこれまでのDの作品の中でも、人それぞれ意見が分かれる作品になったと思います。
私は好きです。とても好きです。
リーダー演じるポーシャの出番は減ったかもしれませんが、女性的な面だけでなく男性的な面も観られましたしね。
リーダーの魅力って本当にたくさんあって、踊りは勿論、歌も芝居も、トークも魅力的。
しかも踊るとリーダーってすごく力強いのに、たおやかで繊細で本当に綺麗。
今回のインタビューで度々リーダーは水さんのことを「両性具有」と表現していますが、その言葉そっくりそのまま貴方に返したい!(笑)
だからそのどちらもがひとつの作品で観られるなんて、一粒で二度美味しい!的な気持ちだったんです。
あぁでも道化に引きずられて踊るところはやっぱりリーダーで見たかった…。欲張りですね。
ポーシャとは一体どんな人間だったのか
過去2回のマスカレードでは私自身がポーシャに魅了されるがままで、ポーシャについて考える所にまで至らなかったんです。
でも今回はちょっと考えることができました。ここがちょっと咀嚼したい部分。
ヴェニスの商人の舞台である中世イタリア。
貴族の集まる仮面舞踏会で誰もを魅了する女性、ポーシャ。
彼女はそんな社会でポーシャとして生きていることに窮屈さやしがらみを感じていたのかもしれない。
道化の戯れに導かれるまま命を落とす彼女だけれど、女性という肉体から解き放たれたポーシャは自由を得られたのではないか。
一方、彼女たちを弄んでいたつもりの道化の運命は巡り続け、自由にはなれない。
ポーシャ自身の陰と陽。
そして道化対ポーシャの陰と陽。
私はそう捉えて見ていました。
でもそうすると、正直最後のポーシャ二人の部分は蛇足感があるんですよね。
前回までのように、闇によるどんでん返し。それがラストでも良かったんじゃないの?と。
そこまで考えて迎えた東京千秋楽。
闇(泰右)は、道化になったわけではないのかも?
前回の再演時、闇が道化の置いた仮面を手にするシーンで「これなんだろう?」とでも言いたげな顔の闇がまるで小さな子どものようだった印象があるんです。
ただただ興味を抱き、仮面を手にし、力を得て、新たな道化となる…そういう印象でした。
だから泰右の道化は全然ポーシャに興味が無いんだろうなぁ、と思ってました。
それこそ初演の原くんの道化とは全く違う道化になるんだろうと。
(原くんの道化はポーシャへの執着がアリアリ)
でも今回の泰右の演技は違うんですよね。
確実に意思を持って仮面をつけ、道化を手にかけている。
では、道化を手にかけた後、仮面を外したあの子は一体何になったんだろうか。
そもそもあの子は本当に”闇”だったのだろうか。
光があれば影ができる。
神の御子である天使が堕天することもある。
ではまたその逆も…?
面白いですね、マスカレード。