Unlimited***

DIAMOND☆DOGSを見つめる日々の雑記帳

【辛口注意】サロメ 2017 感想

!!Attention!!

※毒吐いてます
※キャストさんご自身に文句はありません
※個人の感想なので苦情は受け付けません。こういう見方をしてた観客が一人いた、という話です。

 

f:id:runn2:20171213230910j:plain

先に言っておきますが、今回のサロメが良いか悪いかで言えば良いし、好きか嫌いかで言えば好きです。
そして初演を観ている人と観ていない人とでは絶対に感想が違います。私は初演通ったリーダーファンです。
でも色々と思うところあったので、毒を吐きつつ文字にして公開します。

 

閲覧注意ですよ~

 

 

Dramatic Super Dance Theater サロメ


無駄がなく、厳選された中から更に余計なものは削ぎ落として削ぎ落として、そうして魂へと還っていく初演が私はとても好きでした。


正直言って、今回の再演は無駄が多すぎる。

 

まず一つ目。
初演の少年(三浦少年)は奴隷だったので、今回もそうだとばかり思っていたら大分違っておりまして…幕が開いての第一印象は…随分とまぁきらびやかなお衣裳で…きらんきらんすぎて宮廷に出入りしている大道芸人の子どもか何かなのかと。
ゲネレポ記事では"小姓の少年"とされていたけど、いやいや小姓ならあんなに王をおちょくったら速攻で殺されるでしょ…!?

と思っていたら2幕頭のダンスシーンで急にコロスやエロド王と馴れ合い始めて大混乱ですよ。衣装変えたら役が離れると思うな。
個人的には2幕冒頭のダンスシーンで一気に興醒めでした。

タップと木村くん含めたダンス本当にいらなかった。

物語の流れも止めるし、役の立ち位置あやふやにするし、木村くんの見せ場作りたいだけならカーテンコールでやればいいのに。

そうしたらもうちょっと温い目で観られたよ。多分ね。

 

初演ではサロメと親しくしていただけで最期は親衛隊長に抉り殺された少年が、何故か王様をおちょくっても殺されないので、最終的に私の中で木村少年はサロメ嬢のイマジナリーフレンドだと位置付けて納得させました。

みんな見えてないんだな~じゃあ仕方ないな~。
(殺すのは年齢・見た目でNGとかいう理由ならキャスト変えろでFAなので却下します)

 

そして殺されないので、せっかくの親衛隊長の出番がほぼ無いです。
その分、親衛隊長の役目が無いから見せ場作ったよ☆的に見事な剣舞を魅せてくれたのはありがたき幸せですし、そりゃまぁ美味しくいただきますけれどもね?

初見の方々にもかなり好印象だったし(メリポピ動員に繋がるといいね!そのためにはキャスケ早く出してほしいね!)

でもだからって見せ場を与えりゃいいってもんじゃないんだって!物語で生かしてくれよ!!
個人的に風海様のあの圧倒的な中国武術を活かした剣舞が「日中国交正常化~」の大部分を担っていたんじゃないかと思ってる。(だってキャス変で中国人キャストほぼいなくなったし)
ちなみにジャケットを着ていない時のかざみんは「死の指輪役」らしいけど、そんなもんゲネレポのライターさんの書いた記事読まなきゃわからなかったわ!衣装変えたら役が離れると思うな(2回目)
王から賜る「死の指輪」が大事なんだから、王自ら指輪をはめる瞬間をピンスポ当ててでも強調して欲しい。

 

事前のインタビューで、今回少年はサロメを笑わせるためにいると上田先生が話していましたが…

うん、ぶっちゃけ発展途上中の頑張ってるバレエを見せられても別にこっちは笑えないので。
どうせならあそこでタップやアクロバットを持ってきてもらった方が良かった。

だって風海様やコロスの方が上手いもん。質が高いもん。
でもまぁ、それでも少年にしか意識が向かないほどにサロメにとっては自分らを取り巻く全てがどうでも良かったんだな、不憫だなと思うことにして乗り切りました。

コロス<<<<<少年(いろいろな意味で)

 

これまでの私の解釈で今回の少年とサロメをざっくり説明するとしたらば。

”暴力の蔓延する窮屈な世界、不仲な両親、性的な目でこちらを見る義父…かわいそうな少女は心を病み、いつしか想像上の友人を作り出し、友人は憂いに満ちた少女に花を贈り、どんな時でも彼女を笑顔にさせてくれるのです”

こう書くと一気に現代悲話の出来上がりですね。


でも実際今回のサロメの印象はこんな感じでした。ヨカナーンは何処へやら。
しょうがないじゃん。サロメとヨカナーンよりもサロメとエロドの方がピックアップされてるんだもん。
それがエロド王に森新吾を据えたD☆Dファンの贔屓目だと言われたらその通りかもしれないけど、事実そう感じたんだからしょうがない。
おそらくそんな印象を持った理由は、紐とヴェールの色です。
サロメとヨカナーンをつな紫の紐
サロメを絡めるエロドとの紫のヴェール。初演では白でした。
なぜ2色あるヴェールの中でヨカナーンの紐と同じ紫を選んだのか。
運命の糸、頼みの綱、命綱…上田先生の真意はわからないけれど、色が同じであるということで私の中で今回の物語はヨカナーンとエロドの順位付けが同等になってしまったんだと思います。

 

そうなると一気にヨカナーンに対するサロメの渇望が感じ取りづらくなってしまって、ただでさえ出番の少ないヨカナーンの印象はより薄くなり、結果として初演で感動したカーテンコールでの2人のダンスが一気にただの演出になってしまう。

今回のラストダンスは二人の結婚式ではなかった。
私は初演のあのカテコで「こんなに素晴らしいカーテンコールを演出する人いるんだ!!上田先生すごい!!ありがとう!!」と大いに感動したんです。本当に。だからこそ、本当に残念。
毎公演ちょっとした二人の呼吸のズレにそわそわしたし、晴れやかな気持ちで見ることも出来なかった。


アフタートークで紐を使ったダンス大変なんですよ~って流れで「お客様からはわからないかもしれませんが、本番でも東山さんがすごく見てくださってサポートしてくださって…」ってお話されてましたが、んー少なくとも前方席には伝わってますよー。残念ながらね。
相性の問題なのか、ジャンルの違いのせいなのか、勿論急なキャスト変更による稽古不足も理由の一つなのかもしれません。でもソレ観客には関係ないことですし。
これが二つ目。

 

そして三つ目。

これが今回、私が何よりも一番嫌だったこと。苦痛だったこと。

 

なぜサロメの心情を言葉にして歌ったのか。

 

事前のインタビュー等で、今回歌があるというのは知っていたし、類隆がいるならそうだろうと思っていた。
実際エロド・エロディアの歌は良かったと思う。二人は自分自身で言葉も発するし、台詞よりずっと感情が乗るし、とても効果的だったと思う。

でもサロメは違うでしょう?
サロメは踊りで、表情で、視線で、呼吸で心の内を語っているじゃない。
リーダーならそれが出来るじゃない。出来ていたじゃない。
あんなにも雄弁に肉体で語れる人に歌詞という枠をはめるなんて野暮だわ。

 

類隆いるし歌わせなければというのであれば、明確な歌詞をつけるんじゃなくて「Ahー」とかで音として声を乗せてくれたら良かったと思う。あの二人の音色ならそこに感情だってのせられるよ。
子どもの歌は不要です。あれこそ野暮。

 

これが上田先生演出の外部作品にゲストで、という形でならここまで不満には思わなかった。勿体無いなとは思うけど。 

でもDIAMOND☆DOGSの冠がついているから言わせてもらう


例えば初演のサロメの踊りを見て理解できない、わからないと感じた人がいたとして。
サロメが何を思ったのか、何故そんなことを望んだのか、それを歌詞で言葉で説明されないと理解が出来ない客はいっそ思い切って切るべきだと思う。
15年DIAMOND☆DOGSとしてやってきた実績、経験、実力を持っているからこそ、そこで自分たちのクオリティをみすみす下げないで欲しい。


ダンス公演なんてニーズの少ないジャンルだと思う。

今回新たに若いキャストを入れて、しかもある程度の集客が見込めて、その方たちの多くは今までDIAMOND☆DOGSがやってきたようなダンスで語る舞台は初めてでしょう。

だから、そういう人でもわかりやすいようにした?

初めて見るDIAMOND☆DOGSを素敵だと思ってほしかった?

またDIAMOND☆DOGSのメンバーが出る舞台に足を運んでくれたら…そう思った?

それ自体は悪いことじゃない。ある種の企業努力だと思う。


でも、だからこそ15年の間あなた達に魅力を感じてついてきたファンがいることを忘れないで欲しい。
そして必ずこの先もDIAMOND☆DOGSという唯一無二の表現に惹かれる新たなファンが出て来ることを信じていて欲しい。
わかりやすさと質の高さは必ずしもイコールじゃない。

今回のことは本当に勿体無いの一言に尽きるし、ぶっちゃけ言わせてもらうと先月のSWANに続いてのこれ、ファンは馬鹿だと思われてるのかな?って思った。


再演というより新作

D☆D追いかけ始めてもう何度聞いたかわからないけれど、再演と改変は違うでしょう?
新たな道具に手を伸ばすんじゃなくて、既にある土台を強固にして上へ上へと手を伸ばし、飛び上がり、ブラッシュアップさせるのはいけないこと?
前回を上回るものを作るのはとても困難なことだと思う。でも出来ると信じているから再演を望むんだよ。もう一度更なる力をつけた状態で観たいと願っているだけなんだよ。作り変えてほしいわけじゃない。
ついでに言うけど、以前公式ツイッターが「D☆Dによくある再演詐欺」と発言してましたが、本当に詐欺だからね。チケット代払ってるんだから。

 

つーか、千秋楽後に友人と話してて納得したんだけど、DIAMOND☆DOGSメンバー全員入れて、ここまで初演から改変するんだったら少年役TAKAちゃんで良かったんじゃないの?

可愛らしさなら十分にあるし、今さら身長差がどうとか瑣末なことでしょ。

歌を取り入れるという演出になった段階でダンスに拘る必要もないんだから、少年の歌でサロメの心を癒やせばよかったのでは?
そしたら類ちゃんには死の指輪役で重たく激しく華やかに惑わすように歌い上げてもらって、風海様には親衛隊長として初演通りにTAKA少年をぶっすりと殺ってもらって…
ほら!そしたらDファンみんなHAPPYだよ!出番と役目があるよ!

何が15周年だよってボーカルファンにツンケンされることもないよ。
「リーダーファンはいいよね~」って雰囲気、結構居心地悪いんですよ~マジで。

 
散々下げたのでここからは上げます

今回の再演ですごく良かったエロド・エロディア・ナーマンの3名について。

 

エロド

初演の桜木エロドは「生理的に無理」な気持ち悪さがすごくて(褒めてます)
周囲をうまく使って国王の座まで上り詰めてきた、実際は小さな男。
ずーっとねちっこくねちっこくサロメに執着して、甘やかして、「何故誓ってしまったんだ…!」で怒りが溢れ、熱量を上げていった印象が強くて、サロメを殺すことで、どうにかして今後の立て直しを図ろうとするんだろうなぁという人。


一方、今回の森エロドは苛烈。怒りによる暴力と激烈さで支配してきた人。
法月エロディアとの身長差も相まって己の矮小さをその怒りのエネルギーで隠しているような気がする。
桜木エロドと違って「何故誓ってしまったんだ…」は後悔の色が強い。
きっとこれから先は国も立場も人生も崩壊へとまっしぐら。そしてその全ての不幸をサロメのせいにして、魘され、怯えて生きていくんだろう。

 

ロディア
正直キャスト発表になった際は何もエロディアまで男にしなくても、というか娘(リーダー)より若い母親かよどーすんだよって思ったけど、ふたを開けてみればとっっっっても良かった!!
ロディアってすごくヒステリックで、気位の高い女の役なんだけど、初演の桐生エロディアよりも、人としての理屈があってのヒステリーというか…
桐生エロディアは、夫がサロメに執着するたびに嫉妬していたけれど、それは夫の気を引くサロメへの嫉妬じゃなくて、自分よりも褒めそやされる存在への嫉妬だった。

例えるなら白雪姫の継母みたいな。
エロドからサロメを引き離すときも「アンタわかってるんでしょうね」みたいな。ただ女。
きっとこれは女性が無声で演じたからこそであり、その受け取り手である自分も女だからだと思う。


法月エロディアは男性が演じていて、台詞も歌もあるということで、一時のヒステリックな感情の起伏だけじゃなくて、どういう考えで動いているかがよくわかる。
サロメを産んだ母親であるという自覚があるし、エロドからサロメを引き離すのは嫉妬じゃなくて自分の身の安全のため。
予言者を否定していたけれど、誰よりもそれを恐れ、内心で信じていたのはエロディアでしょう。

国が滅ぶのも夫がどうなろうとも関係ないけど自分の保身は大事。
見た目こそ、一体どこの西洋絵画から飛び出してきたんだってビジュアルだったけど、一番"人間"らしかったのはこの人かもしれない。

 

ナーマン
初演の田極ナーマンは親衛隊長と仲良しだし、デカイし、怖い、首を落とすことにも何ら頓着がない人。
でも、橋田ナーマンは死の指輪で自我を奪われた可哀想な人だった。
コロスと同じように、死を恐れていただろう人。多分元々は普通の子。
軽々と斧を振るうというよりも、本来の己の器量以上のことをさせられているように見えた。(力がないとかじゃなくてね)
橋田くんの元々入っている左胸のタトゥーが、まさに心臓を掴まれてしまっているように見えて、彼が踊るシーンは全てとても切ない気持ちになりました。

ナーマンで1本スピンオフ作品作れそうだなって思いながら観ていました。
しかもあの子近い将来、絶対殺すマンこと親衛隊長・長澤風海に殺られる

 

 


さて、そろそろ触れたい。
如何にも美しい、我らがサロメ様。


初演はもうとにかく可愛くて可愛くて、サロメちゃんマジ天使って感じ。
※決して天使ではない。某チケットサイトの紹介文で「東山義久が純白の天使を演じた~」と書かれていたけど絶対に違うと思う
あまりの可愛らしさにずっと「サロメちゃん」と呼んでました。

 

今回はどんなサロメちゃんに会えるかな~と思いながら初日の幕が開くと、そこにいたのは14歳のサロメちゃんじゃなく、少し大人になった17歳のサロメ嬢でした。
観ながら中2が高2になったみたいだな~とぼんやり思っていたんだけど、はたと実際初演から3年の月日が経っていることに気付いて、あ~この3年間リーダーと上田先生の中でサロメという1人の少女は確かに育っていたのだと感じました。
個人的にはこの17歳っていうところがポイントで、少女というより女の入口にいて、大人でもなく、子どもでもない。

現代日本の年齢に置き換えると、結婚は出来るのに青少年育成条例には引っかかる。そういう、すごく微妙で曖昧な感じ…伝わるかしら。


初演のサロメは狭い世界で幼く純粋すぎるが故の無知の凶行、という感じだけど、今回のサロメはもう少し成長しているのでもう少し色んなことを知っている。知性と艶やかさがある。
自分の見た目を活かす角度、それが誰に効果を与えるか、周囲が何を思っているのか、人は死ぬということ、恋というものがあること。
それを知っていながら、「銀の皿に首を」と望めば人はどうなるかに結びついていない、そのアンバランスさこそが恐ろしく、美しい。

またそれを演じているのが41歳男性ですよ?何なのあの人。どうなってるんですかね。

あと単純にファム・ファタール感は増しました。マシマシ。

 

ラスト15分のソロダンスは初演も再演も一切変わらずに「凄い」以外の言葉が出ない。
今回はじめて後方ドセンで観たんだけど、1010の後方席は段差があって前の人の頭が舞台に一切被らないので、舞台に存在するのはサロメただ一人という途轍もなく贅沢な時間がそこにありました。

個人的な意見ですが、インスティンクト・ラプソディが終わった後に拍手が起きないままヴァイオリン・ミューズへと突入するのが凄かったです。

勿論、そうならないよう演出して繋いでいるとは思いますが、客席には色々な人がいるのでとりあえず踊り終わったら拍手みたいな風潮の現場もあるじゃないですか。どことは言わないけど。

でも今回それが全く無くて、一瞬の無音の瞬間に客席も静まり返っているのが本当に感動しました。

息をするのも忘れるほど客席全体が見入っていたのだと思いたい。

 

上田先生が度々「東山くんは魂で踊る」とおっしゃってましたが、まさにその言葉がピッタリのラスト15分。

前々から東山義久は中性的なのではなくて両性具有であると言い続けている私ですが、サロメに関しては性別も年齢も、"東山義久"という肉体・精神の枠組みすらも取っ払って、魂そのものがサロメという依代を介して存在していて、我々はその奇跡を見せていただいているのだなぁと。


千秋楽、落ちてくる白い砂(塩なのは知ってるけど情緒がないので"砂"と表記します)を見て幸せそうに微笑むサロメの表情に、もしかしたらあれはサロメにとってヨカナーンの一部なのかな、と思いました。
もう動かない。しゃべらない。目を開けない、愛しいヨカナーン
天から降る白い砂は、ヨカナーンの声であり、眼差しであり、鼓動や、吐息、温度、感触、指の動き…一瞬の逢瀬で心奪われたヨカナーンの全てだったのかなと思うと、やはりあの最後の15分、愛するヨカナーンに包まれて踊る彼女はとても幸せだったと思うのですよ。

 

 

そもそもこのサロメというお話自体、サロメの行動の意味がわからないという人もいるようで。
でも私は正直わからんでもないというか…私が感情移入できるのはサロメだけなので。
もちろんサロメの行為は正しさの欠片もないし、狂気の沙汰だとは思う。
でも、自分にどうしても欲しいものがあってそれが手に入る手段が目の前に提示されたら…出来得る限りのことはするよ。

そもそもサロメには正しいとか善悪の概念が無いと思っているので。あるのは好きか嫌いか。子どもですね。
その結果、当然ヨカナーンは死に、二度と視線を合わせることも話すことも、触れてもらうことすら叶わなくなってしまうのだけれど、別にサロメはそのことを悔やんでもいないし、悲しいとも思っていない。ただ結果として受け止めるだけ。嫌な結果ではなかったのでしょう。

 


―お前は死んでしまったのか?
―私はまだ生きているのに


この言葉が今回すっごく心に残っていて。

最終的にサロメは災いを恐れたエロドにより殺されるのだけれど、もうその声すら耳に入っていないか、聞こえていたとしても「自分だけのものになったヨカナーンに会える、早く会いたい」そんな気持ちでいっぱいなんじゃないかな。

勿論、現代でそんなことしたら捕まりますけども、それはそれで彼女なりに出来ることをして欲しいものを、愛するものを手に入れた努力の結果による最上の幸福なんだと思うと、私はわかるなぁと、なんなら羨ましいなと思ってしまうわけです。

カナーンが自分のものになった上に、もうその当人がこの世にいないのならば生きる理由も一つも無いだろうし。

 

 

冒頭にも書きましたが、2017年ver.サロメ、良いか悪いかで言えば良いし、好きか嫌いかで言えば好きです。

色々書いた今回の少年の配役と立ち位置変更ですけども、一つ良かったなと思えたのは彼の共演者・関係者で子どもたちがこの作品を観てくれたことです。

難しくてわからない所や怖かった所、何なら眠くなっちゃった所もあったとは思うけれど、今後表現者としてやっていきたいと思うのならば、このサロメを生で観ていたことが、きっといつか良かったと思う時が来ると思うんだ。

というか私が勝手に良かったと思ってほしいだけなんだけど。

 

でもやはり無駄のない2014年ver.の再演を、強く強く望みます。

この作品において重要なのは魂。

余分なものを全て削ぎ落として削ぎ落として…そうして表れる、触れることもためらわれるような真っ直ぐで愚直な欲望と、愛情がサロメの魂だと思うんです。

だからこそ、いつかまた、シンプルで無駄のない愛と欲と美しか存在しないサロメに出会いたい。そう願っています。